今回は先日紹介した韓国ホラーの哭声/コクソン、これのネタバレありの解説動画となります。
まだコクソン観ていない方は今ならアマプラで観れますからぜひ観てみましょう。
なかなかおもしろい作品で僕のオススメホラーのひとつです。
哭声/コクソンは脚本、構成、演出も非常にうまくて、すごいおもしろいんですけどとんでもないバッドエンドで、多くの謎を残したまま物語が終わります。
すっきりするラストが好みの方にはあまりおもしろく感じないかもしれません。
監督は、ラストを含めた多くのシーンで意図的に観客を混乱させる演出を取り入れています。
その技術、手腕は本当に素晴らしかったと思います。
しかし、見事に混乱させられる観客が多く、解説が必要な作品でもあります。
何が原因で事件が起きたのか、なぜ娘はおかしくなってしまったのか、祈祷師やよそ者、女はいったい何者だったのか、それらが明確に描写されていないため、一回観ただけで物語全体を理解するのは非常に難しいんですね。
今回は公式のインタビューをヒントにしながら、謎に包まれた部分の解説をしていきます。
でもこの作品には正解はないと思っててください。
多くの人がこの作品の感想をネットで書いていますが、本当にいろいろな意見があります。
でもどれも正解なようでどれも違っているような気がしちゃうんですね。
だから僕の解説や考察もひとつの可能性、ひとつの参考に聞いていただけたらと思います。
まあそんな作品の謎をひとつひとつ深堀して解説していきます。
最後まで読んでいただければ哭声/コクソンがわかりやすく、そして今よりちょっと面白く観れるかもしれません。
この記事の動画版も作りましたのでこちらもぜひご覧ください。
哭声/コクソンオフィシャルトレーラー
としひろの甘辛ホラー映画批評の哭声/コクソン紹介感想動画
哭声/コクソンあらすじ
まずコクソンのあらすじから簡単におさらいしましょう。
コクソンは韓国の田舎村が舞台となっているサスペンスホラーで、村で凄惨な殺人事件が多発し、警官である主人公ジョングは捜査をし始めます。
ある時から娘ヒョジンに事件の犯人たちと同じ特徴が現れてきて、主人公は山奥に住んでいる「よそ者」と揶揄されている日本人が怪しいと考え話を聞きに行きます。
よそ者の家には不気味な祭壇や道具がありなにかをしているのは間違いなさそうなのですが証拠はつかめず一旦引き上げることに。
その後娘の様子はさらにおかしくなっていき、まるで別人のような言動を繰り返すようになります。
絶望的な状況にジョングはお義母さんが勧める祈祷師に頼むことするのですが…
というお話でした。
としひろの哭声/コクソン解釈
最初に解説を交えながら僕の考えをお話ししていきます。
國村隼が演じていたよそ者「日本人」とイルグァンについてですが日本人は悪霊・邪神で、イルグァンはその信者という風に僕は考えています。
事件は彼らが起こした災厄で、毒キノコが原因となっているのですが広めたのは「日本人」やイルグァンだったのではないかと考えています。
幻覚作用のあるキノコっていうのは昔からシャーマン、祈祷師っていう人たちが神様とか精霊とかと会話するために使われています。
村の守り神の象徴であるムミョンがいることから、あの村では土着信仰があって、昔は祈祷師もいたのではないかと思うんですね。
で、信仰心が薄れてきたこの村で幻覚キノコを日本人とイルグァンが悪用したのではないかと。
その土地の人たちしか食べないキノコという線もなくはないし昔から食べてたというのもなくはなさそうなんですが、そうするとこの時だけ幻覚で大騒ぎするというのに合点がいかない気がします。
イルグァンは村人に儀式を行うことで苦しめたり悪霊を憑依させやすくしたりして、村に元々あった土着信仰を揺らがせた。
そして日本人は村人の強制的な信仰により死んだ人をゾンビ化(復活)させたりする奇跡を起こしていた。
邪神であれ、神様というのは信仰を受けることで人々になにかしら恩恵を与えます。
日本人を悪霊、邪神と考えると彼が与える恩恵とは苦痛とか混乱とか混沌とか、全然嬉しくないもの。
彼らは天災のようないつ起こるかわからないものでその場にとどまる存在でもなくて、だから信仰されるためには強制的な仕掛けが必要だった。
その仕掛けというのが「餌」とイルグァンが言っていたモノ。
餌についてははっきりとはわかりませんが、村人たちは「餌」に食いついてしまい、自分の身に着けている何かを日本人とかイルグァンに取られていたのではないでしょうか。
ヒョジンの靴がその一つですね。
それを強制的な供え物、信仰心として恩恵に苦痛や混乱や混沌を与えていたと。
凄いたちの悪いやつらですよね。
あとで話しますがムミョンが地元の守り神で、彼らと同じように村人たちから私物をもらっていた、または勝手に拝借していたのは同じように供え物としての意味で、信仰心を維持するためだったのかもしれません。
つまりこの作品は村人たちの信仰心が試されたある村のある日の話だったのではないでしょうか。
日本人とイルグァンが仲間だったというのは別バージョンのエンディングで描かれています。
それがこちら。
この別エンディングを観ると日本人とイルグァンは仲間であったことがよくわかります。
わかりやすすぎたためにカットしたらしいです。
彼らが仲間だったのか、途中で仲間になったのか、これは作中では明確な描写もないのでわかりませんがとにかく別エンドでは仲間になっていたことは間違いないわけです。
ではここからいくつかのシーンや設定を少し深く解説していきます。
イルグァンと日本人の儀式合戦の意味
儀式でそれぞれを攻撃しているようなシーンは
イルグァン➡ヒョジン
日本人➡車の中の男
にそれぞれ呪いをかけていたと思われます。
ヒョジンに対して呪いをかけることで苦痛を与え、悪霊が憑依しやすくなるとかそういうのがあったのではないかと思われます。
ここではジョングがイルグァンのことを信じず、儀式を中断させたことでヒョジンは助かりました。
日本人は死んだ男をゾンビ化させる呪い、逆に言えば復活させる奇跡を行っていて、それ自体は成功したのですが儀式の最中に日本人が急に苦しんだのはムミョンの仕業だったのではないかと考えます。
金魚草について
ムミョンが守り神であると思う要因に金魚草があります。
ラストのジョングとの会話の中にムミョンが罠を仕掛けたと言って金魚草が映し出されていました。
金魚草は昔から魔除けの効果があるとされている植物なんです。
金魚草は事件が起きた家には吊るされていて、何度も映し出されていました。
けどいつも枯れた状態でアップになってました。
ムミョンが仕掛けていた時はまだジョングの家族にも悲劇が起こる前で、最初はキレイに咲いていましたよね。
けど悲劇が起こると一気に枯れてしまいました。
その描写も不気味なんですがこの金魚草、枯れるとなんと髑髏の姿に変わってしまうんです。
興味ある方はググってみてください。
きっと思ってる以上に髑髏ですw
ムミョンがヒョジンの髪飾りを持っていた理由
さっきも少し言ったんですが、ムミョンがなぜヒョジンの髪飾りやおかしくなった村人たちの服を持っていたかというと、日本人が村人の小物なんかを持っていた理由と同じではないかと思います。
同じようにどこかしらで接触し、もらったのではないでしょうか。
つまりお供え物的な感じで。
よそ者日本人の場合は呪いをかける手段として、ムミョンは彼らを守るために。
それが信仰心となり日本人やイルグァンから少しでも守る力になれるはずだったのですが、でも結局みんな日本人やイルグァンの言うことを信じてムミョンの言うことは信じなかったんですね。
作品の冒頭でルカによる福音書が紹介されています。
なぜ疑うのか?私には手も足も肉もあるというやつです。
ジョングはムミョンを信じることができなかったわけです。
もし信じることができたのならあの悲惨なラストは起きなかったのかもしれません。
まあでもあの状況で家に行くなというのは酷な話ですけどね。
この作品をジョングだけ見るとあっちの意見にフラフラ、こっちの意見にフラフラと他人のことを疑いもせずに惑わされてばかり。
この映画のキャッチコピーが「疑え。惑わされるな。」というものなんですが、これジョングをはじめ村人に向けて言ってる言葉なんじゃないでしょうか。
とまあこう考えるのが一番しっくりくるかなとおもってるんですがいかがでしょうか。
ではここからそれぞれの設定なんかをもう少し深く解説、考察していきます。
よそ者日本人は何者だったのか?
この日本人の存在は非常にあやふやに作られています。
悪霊、悪い祈祷師、そういう悪の存在かと思いきや祈祷師の男イルグァンが急に彼も祈祷師なんだ!とか言い出して、こっちとしては「え?」って感じでしたよね。
ラストは人じゃなくなってるしさらに混乱しちゃいました。
よそ者の日本人はイエスキリストのような存在であり、カリスマであり、人でもないただそこにいる存在ということで作られています。
その時、その状況で善にもなり悪にもなる、そんな存在なんだと考えられます。
でもそれって悪魔と呼ぶのがしっくりくるような気もしますね。僕は。
日本人の存在については國村隼がインタビューで話していたのを参考にしているので、興味ある方はこちらのインタビュー記事をご覧になってみてください。
おもしろかったですよ!
イサムはなぜ悪魔を見たのか
ラストシーンでは聖痕もでてきていましたが、でも悪魔の姿にもなっていました。
ここで、こいつはキリストの生まれ変わり!?それとも悪魔!?と混乱させられますよね。
悪魔の姿、もしかしたら聖痕もイサムがそう見ようとしていたから見えていただけなのかもしれません。
死んだと思っていた男が目の前に座っていて喋っている。
イサムはもうこの日本人は悪魔なんだと、そういう風にしか考えられなかった、そう言う風にしか見れなかったんですね。
いったん疑いだすと混沌しかなくなる、というのがこの作品のメッセージなんですが、國村隼の役どころはまさに混沌なんです。
祈祷師イルグァンは何者だった?
イルグァンについて先ほど述べたように日本人(邪神)の信者、仲間であるというのが別エンドでわかります。
イルグァンは力のある祈祷師ではあるものの詐欺師に近い存在だったのかもしれません。
どこかで日本人を知り彼を追っていたのではないかと。
その理由はこの作品が聖書をベースに描いていて、日本人をキリスト、イルグァンを聖パウロとして描いている面もあるからです。
聖パウロとはキリスト教の伝道者であり、新約聖書の一部である「パウロ書簡」の作者。
彼はもともとはユダヤ教徒で、当時のユダヤ人の反キリスト的運動に参加していたが後にイエス・キリストの啓示を受けキリスト教に改宗しその後はキリスト教の布教活動に身を捧げました。
彼の影響力は非常に大きく、彼の教えは今日のキリスト教の基礎となっています。
白い服の女ムミョンに攻撃?を喰らい、慌てて車を走らせて逃げていた時、大量の鳥の糞に見舞われましたよね。
あのシーンも実は聖書の一説をモチーフにしてるとかなんとか。
イルグァンの謎にラストシーンの写真があります。
車の中に日本人が燃やしたと言っていた(と思われる)写真が大量にありました。
なぜイルグァンが写真を持っていたのか、これの理由を考えてみます。
理由は3つ考えられて、
①:日本人(邪神)の住処を発見し、日本人から渡されていた。
②:村人たちが日本人を強制的に排除しようという動きを知って、彼らにとって必要なものを回収しておいた。
③:全く別の写真であり祈祷師が今後なにかで使用するために持っていたもの。
写真自体はイルグァンがジョングの家でも撮っていたし、イルグァンの持っていた写真が日本人のものと同じかはわかりません。
けれども彼らの儀式には写真というものが必要なのは間違いないかと思います。
白い服の女ムミョンは何者?
ムミョンは守り神とするのが一番しっくりくる見方だと思います。
ムミョンという名前は韓国語で【名無し】という意味があり、名前がないのはこの作品でたった2人、日本人と彼女だけ。
日本人が人ではない存在とするなら彼女もまたそういう存在と考えるのが自然ではないでしょうか。
日本人を邪神、悪霊ととらえると敵対していた彼女はやはり守り神として考えられるわけです。
日本人が儀式最中にウワー!とか言って苦しんでいたのはムミョンが呪いをかけていたためで、イルグァンは出会った瞬間に血反吐を吐きまくっていたのでムミョンの呪いも相当強烈なのかもしれません。
クライマックスでは私の言うことを聞いてほしいと言い、鶏が3回鳴くまで娘のところに行ってはいけないなんて言ってましたよね。
これの意味は聖書にある一説をモチーフにしています。
結局ジョングはこらえきれず鶏が3回鳴く前に家にむかってしまったわけですが3回鳴いていた後に家に向かったならどうなっていたんでしょうね。
悪魔がカメラを手にしていた意味
ラストに悪魔の姿をした日本人がカメラで何度も写真を撮っていました。
これは昔からカメラで撮られると魂を抜かれるという迷信から来ています。
イサムは悪魔を前に恐怖心が強くなり、それと同時に毒キノコによる作用で幻覚をみていたのかもしれません。
イサムが急にお前は悪魔なのか、と悪魔呼ばわりしていましたし、彼はどこかの時点で日本人を悪魔としか見れなくなっていたのかもしれません。
カメラの意味は社会的な背景も含まれているようです。
この記事を読むと本当にこの作品はよく練られているなと感心してしまいますね。
まとめ
というわけで解説・考察してみました。
ググってみると本当にいろんな意見があります。
コクソン好きな方はぜひお時間のある時にググってみてください。
というわけで以上です。
また次の記事でお会いしましょう!