今回は前回に続きメイドインアビス「深き魂の黎明」についての話になります。
ダークでヘビーでショッキングなかわいらしい絵のアニメ「メイドインアビス」その劇場版深き魂の黎明についての感想はこちらになります。
まだ読んでいない方でメイドインアビスが気になっている方はぜひご一読ください。
ボンドルドのカートリッジは愛の結晶か否か
黎明卿ボンドルドはとても丁寧な口調で話し、人類にとって有益な発見をしてきた偉大な白笛です。
彼が発明したカートリッジは人が作り出したものとは思えないほど残酷で悲惨なものではありますが、同時に愛の結晶でもあるのではないでしょうか?
確かにそう思うのは当然です。
しかし愛があったと確信させるポイントもあるんです。
誰が言ったかネット上ではボンドルドのことをこう呼ぶ人もいます。
子どもたちの愛を背負って戦う男、と。
Twitter上の意見
僕の考えの前にネット上の意見をみてみましょう。
利用するために近付いて愛してるフリをしたとか利用するつもりが本気で愛してしまったというのはよくあるが本気で愛してるし利用もするという度し難い選択したのボンドルドくらいよね…
愛という感情があるサイコパス度し難い— どんぐり🔥🐂🔥羅刹国の魔王 (@donguri_macabre) August 26, 2022
ボンドルド、やってることももちろんやばいんだけど
きっと目的が理由でも本気で愛してただろうから本当にやばい
利用してやろうって描き方じゃないよなあれは…
俺にはそう見えた
プルシェカの笑顔にも喜びにも愛にも、希望はなかった
言葉に詰まる、やるせない— 晴れのちオムライス (@9aaac8) August 28, 2022
愛の証明
ではまずボンドルドに愛というものがあったのか、このあたりを検証してみましょう。
あんな人を人して思っていないサイコ野郎に愛なんかあるものか!と憤怒する方もいるでしょう。
しかしボンドルドには愛というものが確かにあったと考えさせられるところもあるのです。
①子どもたちの名前をいつまでも覚えている
身寄りのない子どもたちをイドフロントに連れていき実験台にしますが、誰が誰だかわからないような成れ果ての姿となった子どもたちの名前をボンドルドは覚えているんです。
しかも彼らの夢までちゃんと覚えているんです。
あの実験には相当な数の子どもたちがいたのは容易に想像できます。
実験に使うということであれば名前も性格も、もちろん彼らの夢だって気にする必要もないんです。
なのにボンドルドはちゃんと覚えている。
これは愛があった証拠なのではないでしょうか。
②プルシュカには父親として振る舞う
最終的にはカートリッジにしましたがプルシュカには父親として愛を与え続けていました。
もともとプルシュカはボンドルドの部下アンブラハンズの一人の娘で、実験に使う予定がなんらかの事故で上昇負荷を受けてしまいました。
自我を失いかけていたのをボンドルドが自分の娘として引き取り(?)育てていきました。
食事や知識だけじゃなくメイニャを与え、帽子を与え、プルシュカが笑顔で過ごせるように様々なものを与えていました。
なぜ有形無形の様々なものを与えていたとわかるかというと、こんな話があります。
約800年前に起きたローマでのこと。
赤ちゃんにスキンシップを一切とらず、目を見ない笑顔を見せない、言葉がけをしないという中で赤ちゃんを育てたらどうなるかという実験をした皇帝がいました。
結果は50人の赤ちゃんがいましたが1歳になる前に全員死んでしまったんです。
そしてもうひとつ同じような話があります。
第二次世界大戦後のアメリカでとある心理学者は孤児となってしまった乳児55人を集め、食事などの生活を保証する代わりにスキンシップを一切取らない育児法を実験しました。
結果は27人の子どもが2歳になる前に死亡し、残りの子どもたちも原因不明の病気や精神的な問題から成人になる前に亡くなってしまったそうです。
ではこの話をふまえてプルシュカのケースを考えてみます。
プルシュカはボンドルドをパパと呼び、常に笑顔で接していました。
またカートリッジにされたあとの回想シーンでもパパとひとつになれたことを心から喜んでいるようなセリフがありました。
非常にボンドルドを信頼して愛していることがよくわかりますよね。
つまりプルシュカがそう思うようになったということはボンドルドが笑顔を見せ、目を見て話しかけ続け、スキンシップも怠らなかったということになります。
これを愛と言わずに何というのでしょうか。
ボンドルドの非道の数々
またしかし、ボンドルドが愛ある行動をしていたのと同時に、人とは思えないような残忍で残酷で度し難い残虐な行為をしてきたのも事実です。
彼の行動原理は「未知への探究」以外にありません。
そのためには誰がどうなろうと知ったことではない。
人であろうが原生生物であろうが容赦なく蹴散らし踏み潰し利用していくのです。
もちろん「愛」も同列です。
アビスへの憧れ、アビス探究のためには手段を選ばない、愛すら利用する男、それがボンドルドです。
プルシュカはそれでもいいと言う
残念ながらプルシュカは強い愛により完成形のカートリッジへ加工されてしまいました。
それは生きたまま解体され箱に詰められ死ぬまで苦痛を与え続けられる地獄です。
普通なら相手を恨み、呪ってもおかしくありません。
しかしプルシュカのセリフは真逆のものでした。
パパには私がついているよ。
もうどんなに辛いことも、どんなに暗い夜もいっしょに超えていけるよ。
プルシュカは最後の最後までボンドルドをパパとして愛していたんです。
自分の体をバラバラにされても強く結ばれたこと、いっしょにいられることを喜んでいるんです。
最初に書きましたが子供の愛を背負って戦う男という呼び名がありますが、プルシュカカートリッジを背負ってるボンドルドはプルシュカをおんぶしているパパのように見えなくもありません。
ボンドルドにおんぶされ満面の笑みを浮かべるプルシュカの顔が容易に想像できます。
結論:カートリッジは愛の結晶ではあるが誰にも理解はできない
ボンドルドには愛があり、プルシュカもそれを感じていたからボンドルドをパパとして愛していたのは間違いありません。
なのでカートリッジは愛の結晶であると言っても過言ではないでしょう。
しかしボンドルドの「愛」はアビス探究のための道具にしか過ぎず、利用するためのものでしかありません。
黎明卿ボンドルドは何度も「愛」という言葉を口にします。
彼の口からでる愛ほど空虚で虚ろなものはありません。
プルシュカはリコたちも愛し、一緒に冒険に行こうと言っていました。
未知への探究、あこがれは血は繋がっていないけど父親のボンドルドから受け継がれたものなのかもしれません。
やはり親子愛はそこにはあったんです。
ボンドルドの愛を具現化したものがカートリッジと考えるとあまりにも悲しい。
プルシュカの愛は一方通行で呪いを受けたらパパから離れ、一人死んでいく。
使い捨ての愛は愛と呼べるのでしょうか。
やはりボンドルドの愛は常人には理解できないようです。