今回は前回のご紹介したトンデモ映画「みなに幸あれ」の徹底解説をしていきます。
まだ前回の記事を読んでない方はぜひこちらも読んでくださいね!
今回の記事の動画も作りましたのでこちらもぜひご覧ください!
村が表す世界の理
みなに幸あれの世界観は心理学用語ゼロサム思考を元にしています。
ゼロサム思考とは簡単に言えば「あなたの損は私の得」となります。
少し詳しく解説しますとこうです。
「ある社会や文化圏の人びとが、世界に存在する品物の数には限りがあるという暗黙の仮定(英語版)にもとづき共有する、社会関係上相反する性質に対する一般的な思考体系。その考えでは、ある者が勝利すればそうでない者が敗者になり、その逆もまた真 …… 社会関係は「ゼロサムゲーム」のようなものとする比較的永続的かつ一般的な考え方。この考えを共有する人びとは、成功、なかんずく経済的成功は、他者の失敗という犠牲があってはじめて可能になると信じている」
ウィキペディア ゼロサム思考より
うーん、わかるようでイマイチよくわからない。
作中ではこの世界の残酷な構造をいくつかの幸と不幸という形でみせています。
幸せな主人公一家と犠牲になっている男
食べて元気になる人間と食われる豚
地元を出て夢を叶える主人公と夢を叶えられない幼馴染
いじめる学生といじめられる学生
作品を解説していくにあたって一番わかりやすく例えられるのは人間と家畜の関係だと思います。
以下、この関係性を元に解説していきます。
目と口をふさがれた男は何者だった?
彼がどこの誰かというのが設定されていません。
何故かというとそれは彼が家畜同然の存在だからです。
家畜は人の食料となるために生き、人はその命をもらって生きています。
彼がどこの誰かというのはさして問題ではないのです。
家畜の牛や豚がどこで育ってどんな性格だったなんて誰も気にしないでしょう?
残酷だけどこれ、現実なのよね。
男は主人公一家に監禁され、行動全てを封じられ、主人公一家に幸せを与える家畜同然の存在です。
つまり幸福という栄養を提供しているのがこの男なんです。
目と口を塞がれ縛られていた意味
家畜は物を言いませんし、狭い世界でのみ生きています。
主人公一家はこの男が死んでも笑っていました。
つまり人ではないことを表しています。
この目と鼻を塞いでいることに関してはいろいろな解釈があるので、別の解釈、もっと深い解釈を知りたい方はぜひググってみてください。
本当にいろいろあります。
部屋にあったタッパーの中身
男はお腹に穴が開いていたようで大きなガーゼが張られています。
部屋には謎のタッパーがあり、祖母は自家製の味噌で隠し味があるとか何とか言っています。
そして主人公はこの味噌で作られたお味噌汁を美味しい美味しいと喜んで食べていました。
ここから察するにタッパーの中身は男から取り出された『不幸』であると思われます。
人の不幸は蜜の味ってやつです。
う〇こかと思ったんですけどさすがにそれはないか?
もしかしたらそういうブラックジョークが含まれているのかもしれませんけどね。
男が死んでも笑っていた家族
男がトラックに轢かれて死んでも家族や村人たちは「あらあら…しょうがないわねぇ」みたいな感じでした。
あの男は家畜ですから家族はさほど興味がないんです。
だから笑っていられるんです。
家畜が死んでも深く悲しむ畜産業の方はおそらくいないでしょう。
あのシーンはニュースを見ている僕らを表しているとも言えます。
世界中どこでも人がいて、1日にすれ違う人も相当な数です。
ニュースでどこどこの誰誰さんがこうなっただの事件に巻き込まれただの事故に遭っただの、そんなのしょっちゅうです。
でも知り合いじゃない人の安否なんて正直どうでもいい話で、それを聞いたところでほとんどの場合一瞬で忘れてしまいます。
当事者にならない限りはどうあっても人ごとなんです。
叔母さん
主人公と同じく誰かの犠牲の上でしか幸せになれない世界を嫌い、理想を求め1人山奥で暮らしていました。
しかし小屋に遺体を置いていたことから結局叔母さんもこの世界を受け入れていたことがわかります。
最後は現実を受け止められなくなり自ら命を絶ちました。
最重要セリフから考える現代の幸せ
叔母さんのセリフに『他人の目が自分の幸せの物差しになっている時点で私たちはどうやっても幸せになれない』というのがあります。
実はこのセリフが本作のテーマをずばり言い表している一言なんです。
公式ポストにこんな投稿がありました。
#みなに幸あれ解説𝐏𝐨𝐢𝐧𝐭
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※ネタバレあり⚠️あの叔母のセリフにはこの作品のテーマをのせています。
SNSが普及して、自分の生活を飾った投稿をして他人のいいねが自分の幸せになっている、
▼ pic.twitter.com/vLh044tNTg— 映画『みなに幸あれ』 (@Minasachi_movie) February 8, 2024
幸せは本来自分自身だけの問題なのに、今の時代はその物差しが他人の目によるところが大きいです。
SNSのいいねや高評価、幸せが数値化していると言えます。
いいねが少なければ不幸、多ければとっても幸せ。
そんな世界に依存し生きることは果たして幸せなんでしょうか。
祖母の妊娠・出産の意味
祖母の妊娠出産は本当に気持ち悪すぎました。
ここはいくつかにわけて解説します。
誰の子供だった?
妊娠の意味を問う前に、そもそもあの子供は誰の子供だったんでしょう?
普通に考えたら祖父なんですが、もしかしたら生贄の男かもしれません…。
これは公式のXでポストされていました。
#みなに幸あれ解説𝐏𝐨𝐢𝐧𝐭
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※ネタバレあり⚠️祖母の妊娠について、まず誰の子供なのでしょう?
それによって意味が変わってきます。夫なのか、それとも生贄なのか。
祖母の出産と幼馴染の死、新たな命が生まれて一つの命が消えるという、生と死の対比をさせました。
▼ pic.twitter.com/Dp2BCdOYr9— 映画『みなに幸あれ』 (@Minasachi_movie) February 6, 2024
妊娠・出産の意味
普通ではありえない超高齢出産。
これの意味するところは現代社会への強烈な皮肉です。
本来若い人間が子供を産むはずなのにおばあちゃんが産んでいる。
それはつまり高齢者が恩恵を受け、繁栄するということ。
出産シーンでなぜか嫁さんとじいちゃんが四つん這いになって分娩代代わりになっていましたよね。
これも高齢者を若者が支えているという皮肉ってるシーンなのではないでしょうか。
(おじいちゃんいたけど、細かいことは気にしない!女尊男卑か?)
僕がなってもいいですよ
出会った男子中学生は序盤ではいじめられていて、後半ではいじめる側になっていました。
これはこの残酷な世界を受け入れたことを意味します。
よく言えば成長したと言えます。
しかし全てを受け入れたわけじゃなく、誰かを犠牲にしながら幸福を享受することに疑問とか嫌気は残っていたんでしょう。
だから自分が生贄になり犠牲を受けるという生き方も悪くないと、むしろその方が自分にとっては幸せなのではないかと考えたのかもしれません。
それがこの「僕がなってもいいですよ」というセリフとなったんだと思われます。
幼馴染は理想論を叫ぶだけの子供
幼馴染の家庭は生贄がいなかったので幸せにはなれませんでした。
夢を追うことも諦め、楽しくない毎日を過ごす日々。
誰もが夢を追えるわけじゃないというセリフはなかなかのインパクトでしたね。
幼馴染は誰も犠牲にならない世界を求めた主人公の行動を助け、共に理想を求めました。
しかし現実は甘くなく、結局犠牲はつきものだと理解し、最後は自ら生贄になることを選びました。
彼は子供だったんでしょうか?
誰も犠牲にならない理想郷を夢見るおこちゃまだったんでしょうか?
ラストシーンで主人公は高齢女性を助けなかった意味
冒頭では寄り添い助けていた主人公がラストシーンで同じような状況に遭遇したのに助けませんでした。
これは主人公の成長であり、夢見ていた子供ではなくしっかりとした大人になったことを表しています。
なんていう意見が非常に多かったんですが、あれはどうなんでしょうね。
目の前の彼氏に夢中でこれから両親と会うことで頭の中がいっぱいいっぱいだったからと言えるかもしれません。
自分が幸せで他人の不幸には目が届いていないとも言えそうです。
でも前は助けたのに今回は助けないっていうのは
それただの嫌な奴になっただけじゃ?
残酷な現実を受け入れた主人公は人間として成長したという意見が多そうですがあなたはどう感じましたか?
家畜の男は幸せか?
家畜同然の存在である男は不幸だったのか、それとも幸せだったのか。
これは正確なところはわかりません。
が、人によると言えます。
祖父母の家の男はたびたび手足の縄をほどいて脱走しようとしていました。
主人公と幼馴染に助け出され外に出た時はとてもいい笑顔でしたよね。
あれは男が不幸から幸せに転じたと言えます。
祖父母の家の男に関しては家畜として生きることは不幸でしかなく、だからこそ主人公一家は幸せだったんですね。
しかしそんな不幸極まるような存在へ自ら志願した人間が作中2人もいました。
それが幼馴染と中学生男子。
中学生男子はこの世界の仕組みを理解したことでいじめる側になっていたようでした。
笑顔で過ごしていた少年は主人公に「僕がなってもいいですよ」と言います。
これは彼自身、この世界の仕組みを理解はしているけど残酷がゆえに受け入れたくなかったということだと思われます。
また幼馴染は夢を諦め自ら主人公に首を締めさせ、自ら家畜の存在になりました。
それ自体が自分の幸せだと考えたのかもしれません。
これらのことから家畜という生贄になった人は幸せを感じる人もいればそうじゃない人もいるということがわかります。
生贄システムは本当か
最後にこの生贄システムについてお話しします。
幼馴染の男はこの世の生贄システムを嫌っていて、誰かが犠牲にならないと幸せになれない世界なんて嘘だ!と強く言っているシーンがありました。
生贄システムを家畜という人間に栄養を与え、生かしてくれる存在として例えると、幼馴染の言っていることは間違っていると言えます。
家畜が死なずに人間は生きていけませんからね。
しかし幸せとか不幸は必ずしも対なっているとは限らないのではないでしょうか。
例えば推し活が最近流行っていますけど、この心理は推しが活躍して笑顔ならファンはとても幸せ。
推しが不幸な目に遭ったらファンも不幸なんです。
つまり幸せも不幸も連鎖するということです。
そして家畜となること自体が必ずしも不幸とは言えない、むしろそれを幸せと感じる人もいるというのもあります。
家畜がそれを幸せと感じたらそれは誰かが不幸になってしまう?
結局、幸せも不幸せもその人の感じ方次第なんです。
けれど!
ゼロサム理論が絶対とは思いませんけど、地球上の全員が幸せな状態というのはありえないとは思います。
そういう幸せな世界はありえないからこそ、このタイトルが光るのだと思います。
「みなに幸あれ」
めちゃくちゃ皮肉ってますよねw
まとめ
というわけでみなに幸あれの解説でした。
家畜での例えがわかりやすいかと思っていろいろ解説したんですが、改めて日々の生活に活力と幸せを与えてくれる多くの生き物に感謝を込めて「いただきます」「ごちそうさま」という言葉を大切にしたいなと思いました。
どちらもとても素敵な言葉だと思いませんか?
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ぜひご自身の目でこの強烈な作品を観てみてくださいね!